【番外編】散歩ルートにあるなけなしの情報は、クリエイティブのきっかけになる力を秘めている

家でPCばかりに向かっている人はご存じないかもしれないが、外で自然に触れるのはワクワクする。とにかくぼくは、自然を感じることが好きだ。だからほぼ毎日、陽の光を浴びに散歩へ出かける。

朝からヒヨドリがギャーギャー騒ぎ、今日もうるさいと思う。かと思えば数匹のシジュウカラが木から木へとこまめに移動しながら歌うを聞いてここちよくなる。しかし散歩中に見える景色や鳥の声、通り過ぎる金沢さん宅の朝飯の匂いも、だいたいおんなじだなあと気がついた。わりと毎日おなじ道を歩んでいたのだ。

惰性で歩くようになってしまった

そこで散歩コースを変更する企むも、どうしても自宅近辺は制覇しつつあるように思った。それでも歩み続けるのをやめられない。こうして、ただただ惰性で歩くようになってしまった。だったら家で本でも読んだほうが楽しいかなあと、そういう小さな悩みを抱えていたときにしっくりきた言葉がこれだ。

氷河の上で過ごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き……情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ。

雑誌『Coyote』で星野道夫が語った言葉だ。惰性で定番散歩ルートを歩き続けた結果、得られる情報は思い出せないくらいなけなしだ。しかし、たしかに歩きながら考えている。もはやこの時間を楽しむためには、想像するほかないのかもしれない。

鳥が飛んでいた

星野道夫はまたぼくに語りかけてくる。

 手の届かない自然を経験してもらうのは、大人になってからでは遅いんです。大人はすぐに目の前にあらわれるものを解釈しようとする。そうではなくて、意味のない光景を、全身で、目や耳やこころで、意味を考えないまま受けとめてほしいんです

「意味を考えないまま、意味のない光景を受け止める」。

数年前からはじまった散歩。当時からの行動をやっと理解したのかもしれないが、もはや意味のない光景になってしまった遠くの小鳥たちを眺め、ぼくは、全身で受けとめたのだろう。

「飛んでいるぞ!」と、いたく感銘を受けた。

こうして小鳥または野鳥と呼ばれる手の届かない自然に魅了され、地元や東京都心に暮らすそれらを、鳴き声だけでほぼほぼ判別できるようになった。よく見えなかったから、「写真」で記録するようになり、人前で表現できるまでに至った。

ゆえに、手の届かない自然のなけなしの情報は”クリエイティブのきっかけになる力”を秘めていると思っている。

 

Coyote No.53 ◆ 星野道夫のアラスカの暮らし

Coyote No.53 ◆ 星野道夫のアラスカの暮らし

 

 

【体験について】リンゴ飴音楽祭2014に行ってきた。アイドルの生LIVEってアクティビティだね!

アイドルの生LIVE(ライブ)が観たくて、リンゴ飴音楽祭2014に行ってきました!お早うございます。

今日はそんな人生ではじめてのアイドルのライブで思ったことについて綴ります。まずは、ringo-a.me(りんご飴)について紹介しますね。

ringo-a.me(りんご飴)とは

りんご飴とは、ざっくり言うとりんご飴を持った可愛い女の子を観れるウェブサイトです。「りんご飴が溶けるほど、恋したい」と謳っており、「あんことあんなことしたい」という欲望だけの筆者と非常に親和性を感じます。

加えてもう一つ覚えておきたいのは自称ゆるキャラのりんご飴マンがいるところ。ライブではアイドルに混じってステージ上で踊りだすというむしろ激しい一面を見せました。

そんなアイドルたちのライブを観て、ラフティングを思い出しました。

体験というか、アクティビティ

「ライブは素晴らしい体験ができる!」とよく耳にするけれど、このリンゴ飴音楽祭2014は、まさにアクティビティと呼ぶべき祭りでした。

ふつうのライブじゃない。映画のように受動的に観る体勢でいたぼくは腕を引っ掴まれ、これから激流を下っていく雰囲気を滲みだしている、あるいは戦闘前のオーラ秘めている、海賊ではないけど仲間意識の高いバギー海賊団みたいな船に乗せられました。

迎える大波に「ヨッシャアイサー!!」みたいな船長の合図がかかると、濁流に飲まれないように先頭で舵を切るアイドルたち、そして息遣いの荒い仲間といっしょに必死でパドルを漕ぎながらも「ちがう!そこそうじゃないぃ!」と罵られ、汗臭い水しぶきを顔に受けながら、己も垂らしながら雄叫びという名の掛け声をかけあう。

ひとつ間違えれば岸壁に衝突するくらいの勢いでした。しかしそれも終わってみると、とても清々しい。みな認識できる臭さなのに風呂あがりのような、満足感に満ちた表情をしていました。たしかに濡れてはいました。

さて、最近「体験」についてよく考えることがあるのですが、価値ある体験の一つとしてアクティビティがあると思いました。 仲間と一緒に身体を動かすアクティビティ。1人の世界で没頭する映画とはまた種類が異なります。

ただライブで観て聴くよりも、受け手であるファンが身を乗り出して身体を揺らすことから「体験」ははじまるのかなと。

キャンプもアクティビティだよね。寒空の下美味しいコーヒーとご飯を作り、分かち合いたい。コッヘルやバーナーとかのキャンプ用品を買っちゃうのは仲間と同じものを持ちたい!みたいな感覚。

これは「つながり」や「身内感」を作る一つの手段なのだろう思います。「体験」については、nanapiのけんすうさんが話すコミュニティの話が参考になりますね。

3.意味不明にする

意味とか価値が説明できる機能って、なんかイケてない。わかりやすいものがいいとか、UIはシンプルで使いやすい方がいいと思いがちだけど、決してそうじゃない。わかりにくいからこそスティッキネスになったり、知りたくなるという人間の心理がある。

いわゆるオタ芸って、はじめて見た時は意味不明でした。。UIにしたらクソなのかもしれません。

5.手段を目的化する

目的に向かって手段をあてるというアメリカな考え方じゃなく、手段自体を目的化することが大事。人間が生み出すものは目的のために作り出すよりも、それ自体がめちゃくちゃ楽しくて盛り上がって行く方が強いと思っている。 「コミュニティサイトとビジネスの失敗はかなり違うと思うんですね。コミュニティの話は非言語な部分がほんと多くて説明しづらいんですが、あえてゴールを明確にしないで、この機能をつけてみたら、ユーザーさんはどういう反応をするかなというのを見てみるというのが大事だったりします」

参照:「けんすう」が語る、コミュニティサイトをコントロールするための5つのポイント | HRナビ

いろんなアイドルが集まるライブでは、もちろん「ん?このアイドル知らないわ」となっている人々が散見されるのですが、オタ芸をそこにいる仲間とやるためだけにステージ最前列に居続けます。これこそ「手段が目的化している」ですよね。

さいごに

アイドルのライブは、身内しかわからない言葉を使ったり、同じポーズをとったり、神話があったりともはや宗教です。そんなところに体験やコミュニティ、コミュニケーションを考えるための参考になるポイントがあるのでしょう。

参照:熊谷氏が語る、「宗教の5つの共通点」と組織運営 : まだ東京で消耗してるの?

そして、もはやライトノベルくらいキャラ設定が細かく、それぞれが得意分野を持ってバーティカル化しながらも、横断的になんでもやるアイドルたちを尊敬します。

そればかりでなく、素晴らしい音楽祭を作ってくれたringo-a.meを運営する少数精鋭のチームにも感謝尊敬と注目をしながら、今後もその活動を楽しみにしていたいと思います。


りんご飴 [ringo-a.me] - 泣く子が叫ぶ爆発りんご飴サイト

 

「時間」と「情報」を整理するタスク管理術本の感想

こんにちは!今日はひさしく読まないビジネスハウツー本を読みました。

感想を書き残しておこうと思います。

読んだ本

読んだ本はこちらの『会社員のための究極のタスク管理 「君ならまかせて安心」と言われる仕事術  5つのコツで「時間」と「情報」は自由に使える! (impress QuickBooks)』 。 

著者は「はまラボ | タスク管理・Evernote好きのブログ」を運営。化学系メーカーに勤める子持ち研究者さんです。

読むべき人

まず、以下の項目に少しでも当てはまる人は読むと参考になると思います。

  • 仕事が予定通りに進まない
  • 時間がない!といつも口にする
  • 仕事の効率化をしたい
  • 時間管理とは?
  • 情報整理とは?
  • プライベートを充実させたい

読んでほしい人は「新しい環境で仕事をすることになった人」

これに加えて、じっさいにどういった人が読んでいるのか。つまり想定ターゲットを具体化すると以下でしょう。

【 想定ターゲット 】

  • 新社会人
  • 管理職になったばかりの人

もちろん大前提として、仕事の進め方に悩みを持った人がこの本を手にとってくれるはずです。かくいうぼくも「やべえ…。正しいと思って仕事を進めているのになぜか予定通りに進まない」という悩みを抱え、アタマを抱えながら右手を頭皮をかきむしり、肩にはフケのスノウパウダーの絨毯が広がるほど。

話を戻しますが、上記の新社会人および管理職になったばかりの人=新しい環境で仕事をすることになった人と言えます。これはなにも転職や新卒での入社だけではなく、社内の人事異動などで担当する仕事そのものが変化したり、じぶんの上司や部下といった密接に関わる人が変わたりすることも、「仕事環境の変化」です。

そうであれば、新しい環境で仕事をはじめた人は覚えることがたくさんあります。本人は無自覚のまま、仕事の進め方をしっかり整理できておらず、理解が足りていないかもしれない。

新社会人や管理職に向けた具体例を増やす

そういうわけで、本書で述べられているタスク管理の2つ、「情報整理術」と「時間管理術」の説明のなかで、新社会人や管理職に向けた具体例をたーくさん!増やしてみるとよりより伝わりやすいかなという印象を受けました。

ざっくり新社会人向けならこんな感じ。

ゴール:企画書の作成(10月19日〆切)

目的:〇〇さんに報告し、社内イベントの開催

  1. 企画書のテンプレを書き出す
  2. 企画のテーマを書き出す
  3. 〇〇さんに確認の依頼
  4. 社内SNSで告知

そういう人たちに向けた具体例を増やすことで、「あ!こういう仕事の進め方があるんだなあ」と思ってもらえるかもしれません。タスク管理術の基礎知識を学びつつ、プロジェクトリーダーとして、部下としての視点での納得ポイントがなおさら増えると思います。

上記のざっくり例は本著で記載されていたこちらを参考にしました。みんな気づきにくいポイントを丁寧に解説しているのがGOODだと思いました!

その際に書き出す内容は、実際に自分が手を動かすこと、つまり、物理的な行動にしておいてください。「考える」「決める」などは要注意です。これらは「〜で調べる」「考えを書き出す」「〇〇さんと相談する」などといった行動に置き換えることが可能です。

さいごに

 その他にもここには書ききれなく暗い、タスク管理ができていないぼくにとって膝をたたいてしまうような「時間管理術」と「情報整理術」をあわせたタスク管理について述べられていました。

次回の書籍には、ぜひ具体例もたくさん書いてくださいね!楽しみにしております。

 

 

千葉の南房総最南端にある「シラハマアパートメント」を訪れて。若者のパーマカルチャー思考を感じる

先週末、千葉の南房総の最南端にある白浜に行ってきました。茨城の南側に住んでいるので千葉はゆかりあるのですが、海沿いの千葉といえば外房ばかりを訪れることが多く、海が穏やかな内房に訪れたかったぼくにとって、かねてから望んでいた南房総へのぶらり旅でした。

バブル期の名残の残すかつての観光名所

さて、そんなわけで東京駅発の白浜行きのバスにゆられることや約3時間で最寄り駅の長門橋に到着。帝国ホテルならぬ南国ホテルや、あまりにもそぐわないヤシの木があり、あまりにも沖縄っぽくてシーサーのいないオレンジ色の瓦屋根、しかも海岸沿いにはベンチではなくて人が二人座れる程度のカップルシートのようなものがありました。

バブル期にバブリーだったことがかいま見えるが、いまやその面影を残すだけで建物をはじめとした公共物が古くなりすぎています。街を歩く人はみなお年寄りで、いわゆる廃れた観光名所だということがどんよりと漂ってきました。

シラハマアパートメント

だからこそ、ここにいる20-30代前半の若い人たちは「なにを糧として暮らしているだろうか」。そういうことをモヤモヤとあたまに抱きながら訪れたのが、こちらのシラハマアパートメント。

アンドオンカフェ| 千葉県最南端のCafe&Rooms「シラハマアパートメント」

もともと企業の社員寮として使用されていた建物をリフォームし、1階にカフェ、2階をゲストルーム、3階を賃貸にしている施設です。1階のカフェでは走り回れるくらい広いウッドデッキに座って、優雅にコーヒーをいただくことができます。道路1本を隔てて、見渡すかぎり太平洋が広がっています。地平線の遠くに、漁の真っ最中の船がぽつぽつ見えるような、なんだかほっこりする、ここちよい見晴らしです。

参照:南房総|南房総的起業サイト

一つのチャンネルに依存しない、若者のパーマカルチャー思考

さて、ここでじっさいに働いている人たちは30代前半と思われる女性の方々でした。どうにか会えた、若者です。

シラハマアパートメントにきたことではじめて、こんな辺鄙な田舎で暮らす人は「なにを糧として暮らしているのか」を直感することができました。

結論から先に話すと、「暮らしのための糧」、いわば稼ぎのもとは一つだけではない。むしろ複数もつことでじぶんの暮らしを担保しているのだなと。シラハマアパートメントが建物を柱としてカフェやゲストルーム、賃貸(農地の貸出など)を運営するのは、経営学では関連多角化とも言えます。これは個人にも当てはまるということです。

エコロジカルデザイン・環境デザイン分野の用語である「パーマカルチャー」ともいえます。

人間が無理のない暮らしを営んでいくためのデザインとしてパーマカルチャーと呼ばれるものがあり、その基本原則の一つに、生きてゆく上で欠かせない重要な資源の確保を特定のチャンネルに依存しない、という考え方がある。

たとえば水でいえば、上水道システムだけではなく、地下水や雨水のような中水資源からも得られる仕組みを用意するなど、複数のチャンネルを持つことで自立性を高め、ひいては自由のあり方の実現を目指す。

 こちらは『いま、地方で生きるということ』(西村佳哲 著)で述べられていたパーマカルチャーについて。

このように、生きていく上で必要になる食べ物や収入を得るチャンネルを複数もっておくのが、いまの地方での、若者暮らし方なのかもしれません。白浜でのカフェや宿泊施設、イベントや教室だけではなく、時には漁師や海女さんとして海産物を取りに海へ出かけているのも、ここではなんの違和感もなく想像できます。

さいごに

今回の白浜を訪れたじぶんの感想として、眼から鱗の言葉があります。書籍でインタビューされている九州大学専任講師の田北雅裕さんが語る、身近で具体的なものに、エネルギーと時間を使うひとが増えてきているということでした。

そういえば最近、あんまりゲームしなくなったかもなあ。 

いま、地方で生きるということ

いま、地方で生きるということ

 

 

 

 

たんたんと考え続けられることが、その人の魅力になる

人が持っているであろうモヤッとしたなにかーーそれは問題を解決する方法あるいは正解を見つける方法。今日はそんな「モヤっと」について考えていて、アタマがよいという考え方のなかで、自分がこれから大切にしたい姿勢について残しておきます。 

ほんとうのアタマがよいとは、たんたんと考え続けられること

ほんとうにアタマがよいとは、考え続けられることです。そこには学歴や社会での地位は関係ありません。たしかに、状況に応じて気の利いたコメントをしたり、察知力があったりするのはアタマのよいことの一つの構成要素かもしれません。でも「ほんとうのアタマがよい」とは、ふつうの人なら考えを断念してしまうところを、考え続ける。人よりも長く、時間をかけて考え続けられることそのものが才能なのです。

こちらはcakesの加藤さんが毎日更新ている『今日のnote』から。

考え続けることでいちばんつらいのは、自分のしょうもなさと向き合うことです。

いいアイデアとか、めったに出ないですし。 それでつらくなって普通は考えるのをやめたくなるのだと思うのですが、ここでも「おれなんてそんなもんだよね」と思えて、たんたんとアイデアを出し続けられる人がいちばん強いんじゃないかなあ。一流のクリエイターはだいたいそんな感じだと思います。

軽率さとプライドと|加藤貞顕|note

これはクリエイターに限らず、誰にでも当てはまる言葉ですね。以下の記事でも話していますが、だからこそ環境をこまめに変えつつ、諦めながらもねばり強く、いつでもアタマの端っこで考えているような感覚をもっておくべきなのだろうと思います。

異なる価値観を感じたいなら、海外よりも地方に行くべき - あんことあんなことして

誰でもできる!続かない集中力を手軽に維持する方法 - あんことあんなことして

そういう意味でクリエイターにかぎらず、思春期をまっとうしている人や、挫折、失敗を経験している人たちに魅力を感じます。もがき考え続けながら生きているところに惹かれるのかなと。

繰り返しになりますが、たんたんと考え続けられることがその人自身の魅力になるのだと思います。

  

誰でもできる!続かない集中力を手軽に維持する方法

集中力がない。集中が続かない。気づいたらYouTubeを見てしまって作業効率もクソもない。ゆえに集中力を高める音楽などの小細工に手を伸ばしながら、過信した脳にだまされ現実の自分にだましつつ、日々をやり過ごすtakurokomaです。こんにちは!

気づけば小学生の頃から、通信簿には「集中力」という言葉が書いてあったような気がしなくもない。かくして大人になったぼくは、いまもヘラヘラして過ごしているわけですが、人並みに集中力を維持する方法を習得しました。超手軽で、誰もが実践できるものです。

ということで、集中力を高める方法を備忘録的に綴っていきたいと思います。

集中できなくなったら、いったん諦める

「集中できなくなったら、いったん諦める」。その潔さを大事にしてほしいです。これは夜寝れなくて、一生懸命寝たいと思えば思うほど寝れなくなるのと同様でしょう。 なんか集中できないなあ、と思ったときには、一旦思考停止します。思考が止まったら、まずは自分の環境を変えていけばおのずと集中できるようになるはずです。

こまめに環境を変えて、短い集中を連続させる

ぼくが実践しているのは、こまめに環境を変えて短い集中力を連続させることです。

例えて言うと、ちょっとした上り坂を駆け上がるだけでチェーンが外れるようなおんぼろ自転車に、一度は乗ったことがありますよね? 外れたチェーンを歯車の適正な位置へもどして幾星霜、真っ黒くなった自分の手をみて若干げんなりする。でも前に進むためには、背に腹は代えられません。

このように、きわめて頼りない自分の脳をこまめにメンテナンスをいれながら、車輪を回すかのごとく回転させなければならないのでしょう。

大きく分けて3つのメンテナンス法があります。

  1. 場所
  2. 時間
  3. 体勢

つまり、場所、時間、体勢になります。

「場所を変える」

はじめの「場所を変える」についてですが、いつもなら机でやる作業を台所や洗面所でやってみる。あるいは屋外に移動するのもありでしょう。

文化系トークラジオ「ソーシャル、レジャー、リア充」の予告編では、今年の夏はあえてビーチで仕事をしたと語ったライターの速水健朗さん。彼の場合取材兼ネタ的な扱いがあるとはいえ、環境を変えることによって栄養分を補給し、脳の集中力を担保しているのだと思います。

ぜひ以下のポッドキャストを聞いてみてください!

文化系トークラジオ Life: 2014/08/31「ソーシャル、レジャー、リア充」 アーカイブ

荻上チキさんのポッドキャストでは、「ディスカバー海の家!」と叫んでいるのに吹きました。もちろん参考になります。

2014年08月22日(金)「海の家の変遷から読み解く社会の変化」(プレゼンモード) - 荻上チキ・Session-22

「時間を変える」

環境を変えることでてっとり早いのは、時間を変えること。朝や夜に集中しようとしてみると、まったく方向性の異なるようなアイデアが生まれることもあります。数時間のとどまらず、余裕があるなら日をまたいでも良いでしょう。

「体勢を変える」

体勢を変えることが見落とされがちなのかなと思っています。考える作業をいつまでも座ってやるよりも、立ったまま取り組んでみたり、寝っ転がって空を仰ぎ見てみるのもその少しの間に身体がほぐれ、リラックスできます。

寝っ転がる体勢になると言えば、ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)でもこんなことが書いてありました。大山卓さんは現在コミックナタリー編集長の唐木さんからの電話があったそう。

そんなある日、急に彼から電話がかかってきて「マンガのナタリーをやろう!」と興奮気味に言われたのだ。なんでも風呂に入っているとき唐突に「マンガのナタリーって……アリだな!」と、成功のイメージが降ってきたらしい。そのまま彼は会社に加わり、編集長として「コミックナタリー」を立ち上げることになる。ナターシャの社名を決めたときといい、なぜかナタリーの転機は風呂で生まれる傾向にあるようだ。

たしかに、お風呂は精神と身体の両方で環境を変えることに適していますよね。モヤモヤしすぎて「嗚呼、もう考えるのは諦めよう」となっているときに、落ち込みながら湯船に浸かると、それまで思いつめてもなにも解決の糸口が見えなかったにもかかわらずパッと出口の光を見出してくれた経験がありました。

さいごに

今回3つの環境を変える方法を紹介したわけですが、重要なことは、これらを組み合わせながらこまめに環境を変えて短い集中力を維持し続けるだと思います。

 

【ナタリー読んだ】客観的な文章でも熱量は伝わる - あんことあんなことして

 

異なる価値観を感じたいなら、海外よりも地方に行くべき

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とはなにか』(平田オリザ 著)を読みました。高校の旧友と意見が合わない、彼女となぜかすれ違う、基本的に相手の言っていることが理解できないーーというような悩みを持っている人には、ちょっとだけ手にとってほしい一冊です。

今回は、本著で述べられている日本のコミュニケーション文化について思うところを書いていきたいと思います。

現代は、「察しあう文化」と「説明しあう文化」の間に挟まれている

「わかりあえない」というタイトルだけでアマゾンで即ポチした本著ですが、ひとまず半分より前の部分はやたら長い前置きなので飛ばし読んでいいと思います。そんなこんなで気になった文章は、日本のコミュニケーション文化について。

一般に、日本社会は、ほぼ均質の価値観や生活習慣を持った者同士の集合体=ムラ社会を基本として構成され、その中で独自の文化を培ってきたと言われてきた。(中略)実際、私たちは、この「わかりあう文化」「察しあう文化」の中から、素晴らしい芸術文化を生み出してきた。

さて、この「察しあう文化」から素晴らしい芸術文化が生まれてきたと聞いて、大分県の国後半島で開催している国後半島芸術祭を思い出しました。

いや、大分県と言えば別府温泉くらいしか思いつかねえから。

という声がボソボソと聞こえてきそうだけれど、そんな辺境の地でANAやKEENの協賛がついておっきな芸術祭を催していると聞いたらビックリするでしょう。

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 引用:国東半島芸術祭公式サイト

国後半島芸術祭についての細かい話こちらを見ていただいて。あとはcinra.netの記事を見ると全体像や開催目的がわかりやすいです。

猪子寿之(チームラボ)×山出淳也 アブない秘境・国東半島のアート - アート・デザインインタビュー : CINRA.NET

で、本著が伝えたかったことというのは、「これからの時代は価値観の異なる人たちと、どうにかしてうまくやっていく能力が重要だよ」(協調性より社交性)と述べていることです。そこで、価値観が異なると聞いて真っ先に思い浮かぶのは海外に身を置くこと。しかしながら、それはなんか違うなあと思っている節があります。

現代は、本著で語られている日本の「察しあう文化」と海外の「説明しあう文化」の間に挟まれている気がするんです。だって、もう身近に海外の人がいるし、気軽にボン・ボヤージュ!って若者はよく言っています。加えて、相手の気持ちを感じ取ってよ!このバカ……!みたいな雰囲気がどんなところでも濃く残っているのも事実。

だからこそ、異なる価値観やライフスタイルと接触する機会を作るなら、いまは海外よりも村社会によって形成されてきた日本の地方を訪れて体感してみるのも、間違いなく一つの選択肢だと思います。

異なる価値観に触れるなら、芸術を入り口にする

学校の文化祭では毎年恒例の文化があるように、地方に行ったら、「芸術祭」を入り口にすればよいと思います。文化にこそ過去から継がれてきた本質が宿るはずだから、異なる価値観に出会えるはずです。

これに関して、チームラボの猪子さんがWIREDの対談で語っていたことがしっくりきたので引用します。

猪子 ぼくは、文化って無意識に連続していくものだと思っていて、「いま」に最適化するものをつくると、自然と本質は受け継がれていくと思っています。アートというのは、もっと意図的に過去や未来に、もしくはいま気がついていない価値観に継続させる装置だと思うんです。

アートは、いま気付いていない、あるいはいま価値が低いとされているものの価値観を変える、スイッチの役割をもっているんです。 

南條×猪子対談:「寛容な」都市が、未来へつながる「いま」を生み出す【Innovative City Forum】 « WIRED.jp

芸術が価値観を変えるスイッチの役割を持っているとするならば、日本の「説明しあう文化」のなかに飛び込むことは、つまり異なる価値観やライフスタイルの中に飛び込みこと。そしていまの自分が持っている既成概念を取っ払ってくれる可能性が大いにありうるということです。

さいごに

本著で述べられている「自分と価値観やライフスタイルの違う『他者』と接触する機会をシャワーを浴びるように増やしていかなければならない時代」であるならば、海外に渡航するよりも、今なお、ムラ社会の風習や考え方の根付く場所に訪れてみるのはグッドアイデアかもしれません。