【番外編】散歩ルートにあるなけなしの情報は、クリエイティブのきっかけになる力を秘めている

家でPCばかりに向かっている人はご存じないかもしれないが、外で自然に触れるのはワクワクする。とにかくぼくは、自然を感じることが好きだ。だからほぼ毎日、陽の光を浴びに散歩へ出かける。

朝からヒヨドリがギャーギャー騒ぎ、今日もうるさいと思う。かと思えば数匹のシジュウカラが木から木へとこまめに移動しながら歌うを聞いてここちよくなる。しかし散歩中に見える景色や鳥の声、通り過ぎる金沢さん宅の朝飯の匂いも、だいたいおんなじだなあと気がついた。わりと毎日おなじ道を歩んでいたのだ。

惰性で歩くようになってしまった

そこで散歩コースを変更する企むも、どうしても自宅近辺は制覇しつつあるように思った。それでも歩み続けるのをやめられない。こうして、ただただ惰性で歩くようになってしまった。だったら家で本でも読んだほうが楽しいかなあと、そういう小さな悩みを抱えていたときにしっくりきた言葉がこれだ。

氷河の上で過ごす夜の静けさ、風の冷たさ、星の輝き……情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ。

雑誌『Coyote』で星野道夫が語った言葉だ。惰性で定番散歩ルートを歩き続けた結果、得られる情報は思い出せないくらいなけなしだ。しかし、たしかに歩きながら考えている。もはやこの時間を楽しむためには、想像するほかないのかもしれない。

鳥が飛んでいた

星野道夫はまたぼくに語りかけてくる。

 手の届かない自然を経験してもらうのは、大人になってからでは遅いんです。大人はすぐに目の前にあらわれるものを解釈しようとする。そうではなくて、意味のない光景を、全身で、目や耳やこころで、意味を考えないまま受けとめてほしいんです

「意味を考えないまま、意味のない光景を受け止める」。

数年前からはじまった散歩。当時からの行動をやっと理解したのかもしれないが、もはや意味のない光景になってしまった遠くの小鳥たちを眺め、ぼくは、全身で受けとめたのだろう。

「飛んでいるぞ!」と、いたく感銘を受けた。

こうして小鳥または野鳥と呼ばれる手の届かない自然に魅了され、地元や東京都心に暮らすそれらを、鳴き声だけでほぼほぼ判別できるようになった。よく見えなかったから、「写真」で記録するようになり、人前で表現できるまでに至った。

ゆえに、手の届かない自然のなけなしの情報は”クリエイティブのきっかけになる力”を秘めていると思っている。

 

Coyote No.53 ◆ 星野道夫のアラスカの暮らし

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