写真を撮るとは、客観的になるということ

「直感を研ぎ澄まして写真を撮れ」という話を聞いたことがあります。伝えたいことを表現するには、撮りたいと思った瞬間に直感でシャッターをきるのだと。

こういう話を聞くと、もしかしたらそれは正解かもしれないけれど、むしろそれは反対でもあると思います。

写真を撮るとは、客観的になるということなのです。

写真を撮るとき、全体を俯瞰する

そもそも写真とは、なにかを撮ろうとするときに対称を見ようとする意識が生まれます。そこには伝えるために必要なものやそうでないもの、あるいは良いものと良くないものを無意識的に振り分けていくことになります。

これはつまり、全体を俯瞰するとも言えます。

そうして全体を見るようになると、これはいらないな、あの被写体は手前にあるとインパクトがあるぞというふうに、構図に必要のないものはフレーミングから外し、必要あるものだけを配置するようになります。

したがって、伝えたいことが明確になっていきます。 さらに、現在はテクノロジーの恩恵で撮影した写真を液晶画面で見られるようになりました。

あれ?撮影しているときとなんだか違うなあと、一度は思ったことがあるでしょう。この差異は、撮影した写真を液晶画面で確認できなかった時代には絶対に感じることができなかったものです。

液晶画面に映った写真を確認している自分は、撮る行為に夢中になっている自分とまったく切り離されています。ほんの数秒前の自分と、いまの自分。

直感かもしれないきもちと写真という結果を比較することで、客観的な視点で自身を俯瞰することができてしまうのです。

『WIREDのVol.13 ファッションはテクノロジーを求めている』のなかで、写真とテクノロジーの関係性であり、恩恵でもあることについて書かれていました。

テクノロジーは、いままで見えなかったモノやコトの姿を可視化することで、世界をとらえる新しい方法を得ようと前進する。アートは世界を可視化し、人間の認識を塗り替えることを本記としてきたが、それはいまも変わらない。

そして「写真」は、その両方にまたがって、双方の進化の最前線に位置しているのだ。

 

引用:『WIREDのVol.13 ファッションはテクノロジーを求めている』IMAと共同制作『ENHANCED VISION テクノロジーはいかに「写真」を拡張するのか』

このように見ている対称だけではなくて、自分自身を可視化してくれるのがデジタル時代の写真なのだと思います。

さいごに

写真を撮ることによって可視化された差異は、かくして伝えようとすることに直結していくのでしょう。まるで日本刀の職人が鍛錬中に刃の無駄を削ぎ、切れ味を鋭くしていくかのように。

客観的にモノやコトを見たいと思うときには、写真を撮ってみると、新たな気付きや視点を得られるかもしれません。

 

WIRED VOL.13 (GQ JAPAN.2014年10月号増刊)

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