技術の勉強よりも、自分の言葉にする作業が大事

人に何かを伝えようとするときに、なんだか伝えづらいなあって思うときがありませんか? たとえば誰かにお願いのメールをするとき、あるいは人から聞いた話を友人に伝えるときなどです。

主に話す・文章にする・デザインする・音楽にする・動画にする……と、いまから話すことは幅広く仕事や日常生活で当てはまることかもしれません。

伝えるためには

伝えるために必要なことを、ぼくがお世話になっている編集者は「咀嚼する」と言いました。また、ある人は「完全に把握する」と言いました。ある人とは、サッカーザックジャパンの通訳として活躍していた矢野大輔さんです。荻上チキのTBSラジオで、通訳としてザッケローニ監督の伝えたいことを余すことなく選手に伝えるためにしたことについて以下のようにお話しています。

ザッケローニ監督の感覚を把握して自分の感覚にしなければ、完璧に把握して伝えることはできません。

たとえば攻撃をしているときに、ディフェンスの選手はこの辺に位置をとって守りに備える、というザッケローニ監督の感覚があります。サッカーでは距離感という曖昧な言葉で示しますが、その距離感は監督や選手によってまちまちです。そこで通訳が、監督と選手間の感覚をすりあわせていきます」。

通訳はザッケローニ監督の感覚や戦術を理解していないと、選手に正確に伝えることはできないわけです。

そこで自分に当てはめるとどうなのかと考えてみたわけですが、人の話を聞いて誰かに伝えるときに、聞いた人の言葉をそのまま使うときのほうが「わかりにくい」と言われることが多いなあと。また、説明不足のこともあります。

「なんでこのデザインにしたの?」「なにが言いたいの?」と指摘を受けた経験は、誰もが一度はあるのではないでしょうか。繰り返しますが、これは話すことや文章にすることだけではなくて、デザインする、描く、動画にする、音楽にする……伝える相手がいる全てに当てはまることだと思います。

自分の言葉にすること

そう指摘されれば、上手に伝えるための比喩の表現などのテクニックを習得するほうが手っ取り早く感じられます

しかし、理解を深めて自分の言葉にすることのほうが断然大事です。なぜなら人から聞いた話は、必ずしも聞き手側に意図したとおりに受け取られるわけではないし、受け取る人はその都度変わるからです。それをふまえた上でも、以下の文言を覚えておいてほしい。

著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとは思えない。(新改訂版『共同幻想論吉本隆明/角川書店

歌手がカバー曲を歌うにしても、しっかり理解をして自分のメロディと言葉で歌っていると、原曲よりもカバー曲のほうが心に残ります。いいな!ってすごく思えるんですよね。

大ヒットしたアナと雪の女王の主題歌は、松たか子さんと翻訳した方が、「ありのまま」という自分の言葉に落としこんだから、2014年、多く人の心に届いたのかなと思います。

基礎やテクニックよりも、「理解を深めて自分の言葉にする」を大事にしていきたいと思います。