ダメって言われても素直でいれば、我慢は快楽に変わると思う
あんことあんなことしたい……。こんにちは。
上に書いてあるようなことを誰かに言っても、「ダメ」って言われてばかりなので、今日は我慢について考えてみました。というのも、ダメって言われても喜んで我慢できてしまうところがあるんですよね……この理由はどこにあるのかなと思ったんです。
ダメと言われて我慢できるのは何故?
一般的に我慢していても耐えられるときは、それなりに楽しんでおり、不満足と満足な部分のバランスが取れていて、大きく傾いていないのだろうと思います。
よくあるパターンがこれ。
我:「明日までずっとお布団の中で寝ていたい……!」
あんこ:「ダメです。起きなさい」
我:はーい!起きます。
これって、自分が素直でいる証だと思ったんです。
天秤を裏返しにして見てみるとわかるかもしれません。こんなイメージです。
満足と不満足という土台があってはじめて、素直でいれるのです。楽しい、やりがいがある…‥という満足の括りがある。そして隣には不満足の括りがあって、「あれがしたい」「ヤりたい」「お昼まで布団の中で過ごしたい」「空飛びたい」「明日はもうこないでほしい……」みたいな不満が大小問わずたしかにあるはずです。
そう思うと、もしいま我慢できる不満を少しでも感じているならば、きっとありのままの、素直な自分でいる証だと思いました。そして欲望に忠実だからこそ、「ダメ」という我慢が快楽に変わることもあるのでないかなと。例えば食制限をしながらストイックに身体を鍛えたり、ボディラインを整えたりするのはそういう例なのだと思います。
『アナと雪の女王』を観た感想ではないんですが、あんことあんなことがしたいなと思う、この頃です。