千葉の南房総最南端にある「シラハマアパートメント」を訪れて。若者のパーマカルチャー思考を感じる
先週末、千葉の南房総の最南端にある白浜に行ってきました。茨城の南側に住んでいるので千葉はゆかりあるのですが、海沿いの千葉といえば外房ばかりを訪れることが多く、海が穏やかな内房に訪れたかったぼくにとって、かねてから望んでいた南房総へのぶらり旅でした。
バブル期の名残の残すかつての観光名所
さて、そんなわけで東京駅発の白浜行きのバスにゆられることや約3時間で最寄り駅の長門橋に到着。帝国ホテルならぬ南国ホテルや、あまりにもそぐわないヤシの木があり、あまりにも沖縄っぽくてシーサーのいないオレンジ色の瓦屋根、しかも海岸沿いにはベンチではなくて人が二人座れる程度のカップルシートのようなものがありました。
バブル期にバブリーだったことがかいま見えるが、いまやその面影を残すだけで建物をはじめとした公共物が古くなりすぎています。街を歩く人はみなお年寄りで、いわゆる廃れた観光名所だということがどんよりと漂ってきました。
シラハマアパートメント
だからこそ、ここにいる20-30代前半の若い人たちは「なにを糧として暮らしているだろうか」。そういうことをモヤモヤとあたまに抱きながら訪れたのが、こちらのシラハマアパートメント。
■アンドオンカフェ| 千葉県最南端のCafe&Rooms「シラハマアパートメント」
もともと企業の社員寮として使用されていた建物をリフォームし、1階にカフェ、2階をゲストルーム、3階を賃貸にしている施設です。1階のカフェでは走り回れるくらい広いウッドデッキに座って、優雅にコーヒーをいただくことができます。道路1本を隔てて、見渡すかぎり太平洋が広がっています。地平線の遠くに、漁の真っ最中の船がぽつぽつ見えるような、なんだかほっこりする、ここちよい見晴らしです。
一つのチャンネルに依存しない、若者のパーマカルチャー思考
さて、ここでじっさいに働いている人たちは30代前半と思われる女性の方々でした。どうにか会えた、若者です。
シラハマアパートメントにきたことではじめて、こんな辺鄙な田舎で暮らす人は「なにを糧として暮らしているのか」を直感することができました。
結論から先に話すと、「暮らしのための糧」、いわば稼ぎのもとは一つだけではない。むしろ複数もつことでじぶんの暮らしを担保しているのだなと。シラハマアパートメントが建物を柱としてカフェやゲストルーム、賃貸(農地の貸出など)を運営するのは、経営学では関連多角化とも言えます。これは個人にも当てはまるということです。
エコロジカルデザイン・環境デザイン分野の用語である「パーマカルチャー」ともいえます。
人間が無理のない暮らしを営んでいくためのデザインとしてパーマカルチャーと呼ばれるものがあり、その基本原則の一つに、生きてゆく上で欠かせない重要な資源の確保を特定のチャンネルに依存しない、という考え方がある。
たとえば水でいえば、上水道システムだけではなく、地下水や雨水のような中水資源からも得られる仕組みを用意するなど、複数のチャンネルを持つことで自立性を高め、ひいては自由のあり方の実現を目指す。
こちらは『いま、地方で生きるということ』(西村佳哲 著)で述べられていたパーマカルチャーについて。
このように、生きていく上で必要になる食べ物や収入を得るチャンネルを複数もっておくのが、いまの地方での、若者暮らし方なのかもしれません。白浜でのカフェや宿泊施設、イベントや教室だけではなく、時には漁師や海女さんとして海産物を取りに海へ出かけているのも、ここではなんの違和感もなく想像できます。
さいごに
今回の白浜を訪れたじぶんの感想として、眼から鱗の言葉があります。書籍でインタビューされている九州大学専任講師の田北雅裕さんが語る、身近で具体的なものに、エネルギーと時間を使うひとが増えてきているということでした。
そういえば最近、あんまりゲームしなくなったかもなあ。