等身大になろう

等身大でいるというのは、生きることにおいて物凄く大切なのだろう、と感じている。

取材でいろんな人から話を聞いてみて、素敵だなと感じる人は、よく「等身大」というワードを使っているから。たとえば、等身大の自分が悩んでいることを企画に落としこむことがいちばんいい、とかね。

コトバンクでは、「等身大」の意味を誇張も虚飾もない、ありのままの姿」と説明しているよ。

等身大でいるってむずかしい?

等身大という言葉に強くに反応した理由は、自分自身が、等身大でいることをむずかしく感じるから。人は相手によって、その人や属するグループが求めるキャラになろうとするよね。たとえば執筆業であれば、媒体ごとにトンマナを合わせていく作業に近いかもしれない。

キャラの使い分けは、ときに、本当の自分とそうでない自分のギャップを大きくしてしまう。人は多面的な生き物だから、人間性の使い分け自体は、悪くない。でも、インターネットによる透明性の時代で、面を使い分けるのは、かなり息苦しくなりそう。

等身大でいることがむずかしく感じる理由は、もうひとつある。意識しなくても膨大な情報が入り乱れている現代の生活環境は、他人の言葉を借りてしまいやすい。インターネットや本で得た情報や誰かに教えてもらったことは、自分で見つけた答えではない。経験や考えをベースにした自分の言葉にはならない。

等身大とは、普段考えていることをちゃんと口にすること。「それは違うんじゃないか」と反論するのも、「これ、やりたい」と声を上げるのも、ありのままの自分だ。声に出さなくても、不言実行できるならばそれでもいいと思うけれど。

自分の等身大を見つけるぞ

等身大であるためには、何か劇的な変化が必要というより、等身大を意識して、徐々に心を開いていけばいいのかなあ。

そうしよう。まずは自分自身を見つめよう。生活も仕事もうまくできそうです。