出戻り社員の話を聞いて。コミュニティは根源的に変わらない

出戻り社員の話を聞いて

昨日、いつも話すことのない方々とお話をする機会がありました。そこで、一旦会社を離れて戻ってきた人とお話して思ったことをまとめておきます。とても感じの良い、好きな人です。

元いたコミュニティに戻ること

元々いた場所に戻るとは、「コミュニティに帰ってくること」だと思っています。人間だから、人と人との関係がいろんなタイプの場所を作っています。例えば、仕事場や趣味の活動の場、サークルとか。学生時代であれば部活動、そして誰にでも共通してはてはまるのは、暮らす街でしょうか。こういった、もといたコミュニティに帰りたいなって僕自身も思うことがあります。その「帰りたいな」について考えてみたいと思います。

懐古主義フィルターはかかっていないか

いざ新しいコミュニティに行くと、外の世界を見ることで客観的に元いた場所を俯瞰できる、という話をどこかで聞いたことはあります。でも、これは本当に正しいのでしょうか。新たな行き先の良くないところばかりが目についてしまい、元いたコミュニティへの良い思い出だけを思い出すフィルターがかかっていないかな。懐古主義フィルターとでも呼称しておきます。「昔はよかった…」という感じのやつ。

そういう意味で、新しいコミュニティに来たとして……

・今いるところは大好きだけど、それでも元いたコミュニティに帰る場合
・今いるコミュニティに寛容できない不満があって元いたコミュニティに帰る場合

この2つの状況では懐古主義フィルターのかかり具合が大きさが異なると思うので、自分でもあたまの隅っこに置いておきたいこと。

カムバックホームは理想と現実の乖離が少ない

懐古主義フィルターさえ意識しておけば、出戻りは良いと思います。もしぼくが仮にシェアオフィスの管理人だったり、会社の経営者だとしたら、一度出ていった人が「それでもやっぱり、またここにいたい」と戻ってきてくれたら、素直に嬉しいし受け入れられる人でありたい。出戻りが良いと思う理由については、理想と現実の乖離が少ないからだろうと、頭にパッと思い浮かびました。まだ見たことのない場所に、はじめて訪れた時のギャップは少なからずありますよね。

ぼくの場合、最近だと家族旅行で訪れた長野の小さな街。現実とパンフレットの違いを見せつけられ、期待しすぎていた自分と家族の三人で笑いました。実際に見ることでその場所の良い点、悪い点をだいたい(だいたいだよ……!)把握できるからコミュニティ(場所)への貢献度やコミットメント、なにより自分の納得感が強いのかもしれません。

本当に?コミュニティは変わっていかないの?

これまで出戻りいいよ!最高!! そして元いた場所の現実をだいたい把握しているからギャップが少ないと話してきました。一方で、そのコミュニティは時間とともに変化していかないのか?という意見もあると思います。で戻ってきたら、あれ?なんか違う場所に来たみたいなんだが……、みたいな(笑)。

僕の考えの結論として、その場所は根源的に変わらないと思っています。

なぜなら、コミュニティは「人+文化」で構成されていて、そこにいる人々が文化を創り、文化がそのコミュニティにいる人々を創る。お互いが補完していると思うからです。

むろん、「人が文化を創るのだから、人がいなくなれば文化は変化していく」という意見もあるでしょう。しかし、スタジオジブリやアップルは文化という香りを察知した人々が集まり、また新しい作品を創っていますよね。ちょうど今、スタジオジブリは世代交代しているところかな? たしかに影響力のある人物がいなくなれば、その場所の持つ文化は変化していくかもしれません。とは言っても、ディズニーですら規模が大きな時もあれば人員を削減してしまった時代を経て、ジョン・ラセターが来た今、また大きくなっています。ジブリも最近そういうニュースがありましたが、表層的に変わっても根源的にはそのコミュニティの持つ文化は変わらないのではと思っています。

文化の大小はあっても、コミュニティには自然的な人と文化が補完し合う相互サイクルがあることに変わりはないと思います。

ということを考えていたら、こういう記事を見つけました。

「組織の文化を理解していることに加え、彼らは隣の芝生がいつも青いわけではないことを体験的に学んだから」

「出戻り社員」は会社にとって最良の社員になることが多い:研究結果 | ライフハッカー[日本版]